母を想う・・・ーMamma-

今日は、いつかご一緒してみたいと想い続けていたピアニストの方とミーティングをしてきました。

カンツォーネの専門家です。

私の本業はクラシックの声楽、しかもオペラですが、長い間お世話になった国、イタリア、しかも、お世話になったホストファミリーのお父さんはナポリ出身の方です。

いつか、カンツォーネ・ナポレターノ(日本ではナポリターノと発音されることが多いのですが)のコンサートをやってみたい、というのが長年の思いでした。

でも、重い腰はなかなか上がらないもの。

今日、やっとその一歩が実現したのです。

ピアニストさん:「どんな曲を歌ってみたい?」

私      :「いやー、恥ずかしながら、実はまだ殆ど知らない曲ばかりで…」

ピアニストさん:「マンマとかもいいよね〜」

私      :「えっ、マンマって、テノールの方が歌うイメージなんですけど」

ピアニストさん:「いや、実は女性が、しかもお母さんが、子守唄歌うみたいに歌ってみるのも悪

くないかもよ〜」

私      :「そうなんですか?」

そして、ここからレクチャーとセッションが。

この曲、元々は映画音楽の主題歌でしたが、イタリアでは、第二次世界大戦中、兵士達によって、軍歌として親しまれたのだとか…

その曲の始まりは「Mamma, son tanto felice…(ママ、僕はとっても幸せだよ)」

なんと切ない。そしてこう続きます。「ママのところに帰れるんだ」

つい、思い出してしまいます。

同じ時代に、戦下の日本でも、多くの兵士達の最期の言葉が「おかあさん!」だったと小さい頃、よく祖父母に聴かされたものです。

私が、イタリアの劇場でデビューさせてもらったときのオペラも、シュールでした。私は老いた母の役。息子が戦死したと聞いて、半狂乱になり、彼女の思考は息子の幼児期に…。子守唄を歌った後は、箱から人形を出して、一緒に遊びます。

すると、窓の外に人影が…。老いた母は、その影が憎き軍人だという事を悟ります。その軍人は家のドアに近づき、玄関を開けます。

とっさにナイフを握りしめ、突進する母親。その軍人は彼女に向かって手を広げます。何と、彼女が刺した軍人は、戦死したはずの息子…そう、戦死したというのは誤報でした。こういう愛と憎しみの錯綜を描いた作品もあるのですね。

平成は、日本の近代史で唯一戦争のなかった時代だといわれて幕を閉じましたが、核家族、おひとりさま、毒親、虐待、ワンオペ育児、家庭内暴力、ひきこもり、殺人…などの単語とともに、家族のかたち、親子のあり方、それぞれの生き方の選択を考えさせられる事も多かったですよね。

でも、親を、子を、慕い、想い、喜び、苦しみ、嘆き、失い、時には憎しみあい…誰しも多かれ少なかれ、家族、親子に色々な、複雑な思いを抱えて生きているのだろうと…。

私自身、母がいて、母にはその母(私の祖母)がいて、私も母になり、私の娘も母になるかもしれない…未来のことはわかりませんが、私も、母も、祖母も、それぞれにそれぞれの時代の葛藤があり、お互いに喜怒哀楽を分かち合った中でもあります。

1つだけいえる事は、人、皆、古今東西、母から生まれ出で、必ず一人で死んで行く…。

「マンマ」を始めとして、他のカンツォーネも、私なりの人生、価値観を投影した歌に仕上げてみたい、そう思いながら、準備を始めたいと思った一日でした。